会長メッセージ

©AkiraKinoshita

 

                                          菅野由弘

   日本作曲家協議会の60周年の年は、コロナ禍とウクライナの戦争に彩られた
  惨憺たる年になってしまいました。
が、そんな中だからこそ、前に一歩進めたい
  とも思う今日この頃です。
   「日本作曲家組合」という団体名で発足したのが1962年、その時の会報は
  「作曲家」という名称でした。そこに、発足の目標として書かれているのが「著
  作権擁護と適正著作料の確立」「生活権の確立」「厚生問題」と、今と余り変わ
  らない事柄です。
  この中で「厚生問題」は、東京芸能人国民健康保険組合への加入交渉を開始する、
  と書かれているので、今は実現されています。が、前の
2項目に関しては、いま
  だに同じような議論が成されている、と感じます。
   また、規約草案第二条における「純音楽作曲家云々・・・」の純の文字が問題
  になったようです。「現在の作曲家はあらゆるものを手がけていて、どこで純と
  純でないものの間に線が引けるのか、という至極当然の質問であった」とありま
  す。「之に対し発起人の箕作秋吉氏より次の説明があり、やはり純の文字を冠す
  る事に決定した。つまり著作権法に於いて、純音楽と軽音楽という二つの名称が
  あり、料金も税金も異なる、という単純な事実があるという事であり、決して気
  負った意味のない言葉として解される事になった」と。
  これも、いまだに同じような議論をしています。確かに、私が
JASRACに入った
  時でさえ、純音楽の著作権料は、確か軽音楽の
5割り増しだったと思います。
  税率も違っていました。純音楽では十分な収入が得られない、この事実だけは
  60年間変わっていない、ということを改めて考えさせる、第一号の会報
  「作曲家」を、読み返したところです。