アジアの伝統・アジアの現代2021 小西奈雅子
満開の桜を抜けて奏楽堂へ。
今回は新型コロナの影響で、作曲者は来日できず、作品のみの交流となったが、たくさんの入場者もあり、華やいだ雰囲気で始まった。
菅野会長の挨拶にもあったが、邦楽器の絃の多い楽器の曲からだんだん少ない方へと構成されたプログラムであった。
リトアニアからは2名3作品、日本からは3名の作品が参加。
1曲目は拙作「流れて・・・十七絃のための」が演奏された。十七絃の様々な可能性を心象スケッチ風に書いた作品を黒川真理氏が見事に弾き切った。
2曲目はリトアニアのV.ゲルマナヴィチュス氏の「鶴の舞」(尺八:黒田鈴尊氏)。邦楽器の尺八を深く理解し、演奏者との交流から生まれた技術を自然な形で説得力ある音楽に仕上げている。続くリトアニアのA.マルティナイティス作曲の弦楽四重奏曲「死と乙女」はヨーロッパの伝統をベースに冒頭の動機から生み出されたドラマと平安、そして硬質な悲しみが印象的であった。
堀越隆一作曲「ここだけの話」では、筝と弦楽四重奏のそれぞれの特徴を対話風に、時には歩み寄り、対峙し、主要テーマが何度か現れ、最後にも静かにここだけの話をする。その後、山本純ノ介氏の「無伴奏ヴァイオリンのための音楽」では、對馬佳裕氏の好演で「一本の糸から発した楽想が増殖し減衰、増幅を繰り返す。(中略)呼吸する音楽」(プログラムノートより)が会場を深く吸引力のある世界に誘った。
最後は前出のV.ゲルマナヴィチュス氏の弦楽四重奏曲「エクスプレッション」で締めくくられた。この他にも日本の古典から地唄「黒髪」も演奏され、リトアニアと日本の作品を違和感なく、共通する何かを感じたのは筆者だけではなかったのではないだろうか。
久々のコンサートに生き生きとした聴衆の反応に、1日も早く新型コロナが収束し、これまで通りのコンサートが再開され、交流の場が広がる事を切に願って、奏楽堂を後にした。