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アンデパンダン第2夜に参加して                     浅香 満
            

 5月27日にアンデパンダン第2夜が開催された。現在のコロナ禍にあってもはや「安心・安全」は日常生活、各種イベントに於いて「セット」で語られる言葉に定着してしまった。本来であれば前年に実施される筈の演奏会であったが1年の延期となり、先ずは今回「無事」に終了でき、主催者やスタッフ、関係者がこの「安心・安全」のために如何に苦労、尽力されたのかは我々作曲家の想像を凌駕するものに違いなく、心からの感謝と敬意を表したい。
 当夜、披露された藤原嘉文作曲「Sound MosaicⅣ~チェロ独奏のための」(Vc:
寺田達郎)、大谷千正作曲「恵信尼の2つのアリオーソ」(m-sop:細見涼子 pf:北村昌子)、鈴木豊乃作曲「最後の一羽」(sop:ステパニュック・オクサーナ pf:鈴木豊乃)、村上和隆作曲「Une Japonaise dans Paris」(ob:菊池奈緒 fg:森純一 pf:阿見真依子)、池上敏作曲「ウォーニング 2019a,b」(pf:小池ちとせ)の個性溢れる5作品の中に拙作「トランキライザー」(fl:金野紗綾香 fg:早川志保)も仲間に加えていただけたことは光栄である。
 共通して感じたことは作曲者と演奏家との深い「心の結び付き」である。演奏家は作品の「味」を遺憾なく引き出し、また作曲者も恐らくその演奏家ならではの表現力の特徴を念頭に筆を進めたのではばいかと思われる箇所も多かった。
 作品は演奏家独自の解釈が加わることで作品完成後も「成長」するという持論に基づいて、「初演」であっても拙作については練習、ゲネプロを通じて一言も注文を付けなかったが、二人の素晴らしい奏者はディスカッションを重ねて内容を深く掘り下げていただき、作曲者の想定以上に作品の「奥行」を拡大してくださった。
 当日のプログラム解説では先入観なく聴いていただきたいという願いからごく抽象的な表現に留めたが、実はコンサートの前年お世話になった方、同世代の友人、更には若い世代の知人が相次いでこの世から旅立ち、自ずと「死」と向き合うことを余儀なくされた年となった。実際、拙作のスケッチの殆どが病院のラウンジ、待合室、そして霊安室で書かれたものである。そこには楽器が無かったこともあり、高度なソルフェージュ能力を全く持ち合わせていない私には珍しくピアノに頼らずに創作を進めた。
 「死」は考え方によっては「終着点」であり、考え方によっては「出発点」にもなり得ることができ、また考え方によっては「通過点」ともいえる。三善晃氏の自身の作品解説の一部として、火葬場から立ち込める煙が木々の枝と戯れてやがて大気と一体化して「昇天」する様子が綴られた名文を記憶している。現代のハイテクの火葬場ではそのような光景を目にすることはできなくなってしまったが、魂が肉体を超越して自然に回帰する過程は「終着点」であり「出発点」であり「通過点」でもある。
 拙作の最後に次第に消えゆく音が夜景と「一体化」する演出を施してみたが、果たしてこれで良かったかどうかは疑問の余地が残る。
 「死」は身内や深いかかわりを持った者にとっては歴史を一変させることであり、多少とも故人と面識のある者にとっては悲劇となり得るが、とある文豪の作品に「死は苦しみから解き放つ」という一説が目に留まり、その書かれた時代背景は考慮しなければならないものの、以前は多少の違和感を覚えたものであったが、今は合点がいく。そう、「死」は究極の「トランキライザー」である。
 コロナ禍におけるコンサートやイベントの在り方について様々な見解が寄せられているが、関係者から発せられる見解に否定的なものは少なく、音楽もまたこの時代を象徴する「トランキライザー」と言えよう。

                                  
               
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